東京地方裁判所 昭和59年(ワ)15265号 判決 1987年8月18日
原告
新実俊之
ほか一名
被告
有限会社八百増商店
ほか一名
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告らの負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告新実俊之(以下「原告新実」という。)に対し一四四八万〇四三四円及びこれに対する昭和五九年六月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告久米田寿美子(以下「原告久米田」という。)に対し二四四万九五三〇円及びこれに対する昭和五九年六月三日から支払いずみまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
原告らは、昭和五九年六月三日、東京都豊島区長崎一丁目九番二四号先路上を走行中の訴外飯田勝之(以下「飯田」という。)運転の東都観光タクシー(以下「被害車」という。)の後部座席に乗客として乗車していたところ、後続の被告仲田勇次(以下「被告仲田」という。)運転の普通乗用自動車(練馬五八ね五八〇三、以下「加害車」という。)が右タクシーに追突し(以下「本件事故」という。)、乗客としての原告らはそれぞれ負傷した。
2 責任原因
(一) 被告有限会社八百増商店(以下「被告会社」という。)は、本件事故当時加害車を所有し、自己のために運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条により、原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。
(二) 被告仲田は、被害車に追従して走行していたのであるから、追突事故の発生を防止するため、被害車との車間距離を十分に保つとともに、被害車の動静を注視すべき注意義務があるのにこれをいずれも怠つた過失により本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条により、原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。
3 原告らの傷害及び治療経過
(一) 原告新実は、本件事故により、頸部腰部挫傷の傷害を負い、昭和五九年六月三日から同月五日までの三日間敬愛病院に通院し、同日から同月一二日までの八日間常盤台外科病院に入院し、同月一三日から同年一二月二七日までの一九八日間初海整形外科病院に入院し、同日から昭和六〇年四月一七日までの一一一日間中野総合病院に入院し、同月一八日以降同病院に通院を継続中である。同原告は、右治療によるもなお、右首及び肩のこり、右手尺側のしびれ及び痛み、右腰部仙骨部座骨神経痛が残つている。
(二) 原告久米田は、本件事故により、頸部腰部挫傷、両側肘部左膝部打撲、座骨神経痛の各傷害を負い、昭和五九年六月三日から同年五日までの三日間敬愛病院に通院し、同日から同月一二日までの八日間常盤台外科病院に通院し、同月一三日から同年一二月一七日までの一八八日間初海整形外科病院に通院した。
4 原告らの損害
(一) 原告新実の損害 合計二九一三万三八四六円
(1) 治療費 六三二万七一一四円
初海整形外科病院五五一万四六八五円
中野総合病院八一万二四二九円
なお、敬愛病院及び常盤台外科病院の治療費は、被告らが支払つたので請求しない。
(2) 通院交通費 一三万二九九〇円
(ア) 敬愛病院一万一九九〇円
昭和五九年六月四日(五〇〇〇円)及び同月五日(六九九〇円)の往復タクシー代
(イ) 中野総合病院一二万一〇〇〇円
昭和六〇年四月一八日から昭和六一年五月二〇日までの通院四五日間の往復タクシー代六回分三万円、片道タクシー片道バス代二六回分七万五四〇〇円、往復バス代一三回分一万五六〇〇円。
(3) 入院付添費 一二六万八〇〇〇円
一日四〇〇〇円、入院日数通算三一七日
(4) 入院雑費 三一万七〇〇〇円
一日一〇〇〇円、入院日数通算三一七日
(5) 入通院慰藉料 二三〇万円
入院日数通算三一七日、通院日数通算三二〇日
原告新実は、新実治療院を休業し、療養に専念しているが、全盲のうえ、歩行、起立、座位が著しく困難になつたため、極めて不自由な入院生活を強いられ、その精神的苦痛は甚大であり、これを慰謝するための慰謝料は二三〇万円を下らない。
(6) 休業損害 一三九三万三一〇一円
原告新実の昭和五七年一月から昭和五九年五月までの収入合計一九二九万二三〇〇円(昭和五七年八一一万七五〇〇円、昭和五八年七二一万七〇〇〇円、昭和五九年三九五万七八〇〇円)を同期間の日数八八二日で除すと一日二万一八七三円(一円未満切捨て)となる。 入通院日数通算六三七日。
(7) 弁護士費用 四八五万五六四一円
原告新実は、被告らが損害賠償請求に応じないため、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に依頼し、弁護士費用として認容額の二〇パーセント相当額を支払うことを約した。
(二) 原告久米田の損害 二四四万九五三〇円
(1) 初海整形外科病院治療費 一二四万一二七五円
(2) 通院慰藉料 八〇万円
通院日数通算一九九日
原告久米田は、原告新実の婚約者であり、原告新実との結婚を延期して原告新実の付添に努めているが、新実治療院が休業したため、収入を得られず生活に困窮しており、その精神的苦痛は甚大であり、これを慰藉するための慰藉料は八〇万円を下らない。
(3) 弁護士費用 四〇万八二五五円
原告久米田は、被告らが損害賠償請求に応じないため、本件訴訟の追行を原告訴訟代理人に依頼し、弁護士費用として認容額の二〇パーセント相当額を支払うことを約した。
(三) 損害の填補 四〇万円
原告新実は、本件事故により、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から四〇万円の支払を受けた。
5 結論
よつて、原告新実は、被告ら各自に対し、損害合計二八七三万三八四六円の内金である一四四八万〇四三四円及びこれに対する本件事故の日である昭和五九年六月三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告久米田は、被告ら各自に対し、二四四万九五三〇円及びこれに対する前同様の遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 請求原因に対する認否及び主張
1 請求原因1(事故の発生)の事実は認める。
2 請求原因2(責任原因)の事実のうち、(一)の被告会社の自賠法三条の損害賠償責任は認めるが、同(二)(被告仲田の過失)の事実は否認する。
被告仲田は、本件事故当時、車両渋滞のため加害車を徐行運転して被害車に追従していたところ、被害車が突然急制動をかけたため、即座に急制動をかけるも及ばず被害車に追突したものである。
3 請求原因3(原告らの傷害及び治療経過)の事実について
(一) (一)のうち前段の事実は認めるが、後段の事実は否認し、前段の入通院治療のうち、少なくとも初海整形外科病院における当初の三週間を超える入院及び中野総合病院における入通院による治療と本件事故との間には相当因果関係がないというべきである。
すなわち、本件事故は軽微な追突事故であり、これにより原告新実が被つた衝撃も軽微なものであつて、同原告の頸部レントゲン写真上も異常はみられず、神経学的な異常所見もなかつた。なお、同原告の第五、第六頸椎に若干の変形はあつたが、それは年齢相応の加齢による変形とみられ、正常範囲に属するものであつて、本件事故によるものではないというべきである。このように、同原告の頸椎捻挫の程度は中等度以下であり、敬愛病院では通院治療が可能と判断して入院を勧めなかつたし、常盤台外科病院においても、同様の判断であつたが、同原告が盲目で通院が不自由であつたことを考慮し、安静と経過観察の目的で一週間ないし一〇日間の予定で入院させたにすぎないものである。
その後同原告は、常盤台外科病院を自己の希望で退院し初海整形外科病院に転入院したが、通院による治療で十分であつたのであり、早期治療の目的で入院させる場合でも、三ないし四週間の安静入院で十分であつた。なお、同病院における脊髄造影所見では、第四、第五腰椎間に前方からの軽度の圧排像があり、左第五腰椎神経根がやや不鮮明で軽度の圧迫を示唆する所見がみられたが、この程度のものは症状のでない健康人にも認められるものである。また、同病院入院中の昭和五九年八月一日ころに至り腰椎椎間板ヘルニア症状が発症しているが、右は、同原告が本件事故前から仕事上中腰の多い業務に携わりかつ不自然な姿勢のまま指圧等で腰に力を入れることが多かつたことから、潜在的に椎間板の変形が存在しており、偶々右時期に発症したにすぎないものと考えられ、敬愛病院及び常盤台外科病院における腰椎のレントゲン写真上異常がなくまた特記すべき所見がみられないことや本件事故の衝突の程度などに照らしても、本件事故との因果関係はないというべきである。
さらに、中野総合病院における入院治療は、原告新実の糖尿病及び高血圧症という余病及び既往症の治療のためであつたから、同病院における治療は本件事故と因果関係はない。
右のとおり、原告新実の受傷は軽度の頸部腰部挫傷であるにもかかわらず同原告の入通院期間が異常に長期に及んだのは、同原告の自覚症状が賠償性神経症により増幅されたためであると考えられる。ちなみに、同原告は、本件事故当時、訴外東京海上火災保険株式会社(以下「東京海上火災」という。)との間に所得補償保険契約(以下「所得補償保険」という。)及び訴外日動火災海上保険株式会社(以下「日動火災」という。)との間に団地傷害保険特約付月掛団地保険契約(以下「団地傷害保険」という。)をそれぞれ締結しており、本件事故を理由に右各保険金の支払を受けるためにも入院治療の形式を継続することが必要であつたものである。なお、同原告は、本件事故につき右各保険金の支払を求めて右各保険会社に対し別訴を提起(前者が東京地裁昭和五九年(ワ)第一五〇六二号保険金請求事件、後者が東京地裁昭和五九年(ワ)第一五〇六三号保険金請求事件)し、現在係争中である。
(二) (二)の主張事実は認めるが、初海整形外科病院における通院治療は本件事故との間に相当因果関係がない。
本件事故は前記のとおり軽微なものであり、敬愛病院及び常盤台外科病院において撮影された同原告の頸部レントゲン写真上も異常はみられなかつた。また、敬愛病院では同原告の頸椎捻挫の程度を中等度以下と判断しているほか、常盤台外科病院においては、右肘の圧痛以外に神経学的な異常所見はなく、同原告の傷害は、特に積極的な治療を必要としない程度のもので、経過観察のために二週間程度通院すれば十分であると診断されている。
原告久米田は、原告新実と内縁関係にあり、同原告の営む新実治療院で働いていたことから、原告新実が病院を転々として入院するのに従つて同原告の身の回りの世話をする必要上同じように転医していたにすぎず、少なくとも初海整形外科病院に通院する必要はなかつたものである。
4 請求原因4(原告らの損害)の事実について
(一) 原告新実の損害
(1) 治療費
初海整形外科病院の治療費中少なくとも当初の三週間を超える入院期間及び中野総合病院における入通院期間中の治療に要したとされる費用は本件事故と相当因果関係がないから、これをも本件事故による損害とする主張は争う。
(2) 通院交通費
敬愛病院については一定の通院交通費を要したであろうことは認めるが、前記のとおり、中野総合病院への通院交通費は本件事故と相当因果関係がなく、争う。
なお、敬愛病院への通院交通費についても、バス電車料金の範囲内で認めるべきである。
(3) 入院付添費
すべて争う。
原告新実の傷害は、中等度以下の軽い頸部腰部挫傷であり、本来付添は不要であつた。なお、同原告は盲目であるが、本件事故以前は他人の介助なしで日常生活をしていたから、入院後も付添を必要とするものではなかつた。
(4) 入院雑費
常盤台外科病院における入院期間、初海整形外科病院における当初の三週間の入院期間中の入院雑費を限度とすべきであり、その後の入院に要した雑費は本件事故と相当因果関係がないから、本件事故による損害であることを争う。
なお、常盤台外科病院における入院期間、初海整形外科病院における当初の三週間の入院期間中の入院雑費についても、原告新実の傷害の程度に照らし、一日八〇〇円を超えない範囲で認めるべきである。
(5) 入通院慰藉料
敬愛病院への通院三日間、常盤台外科病院における入院八日間のほかは、せいぜい初海整形外科病院における当初の入院三週間を限度とすべきであり、その後の入通院の事実は本件事故と明らかに相当因果関係がなく、本件事故による慰藉料算定事由として考慮すべきではない。
なお、原告新実の傷害が、通院が可能な程度の中等度以下の軽い頸部腰部挫傷であつて、常盤台外科病院及び初海整形外科病院における入院が同原告の希望によるものであることを考慮すると、右期間中の入通院慰藉料は二二万円を超えることはないものというべきである。
(6) 休業損害
敬愛病院への通院三日間、常盤台外科病院における入院八日間、初海整形外科病院における当初の入院三週間の期間を限度とすべきであり、右以降の入通院期間中の休業損害は本件事故と相当因果関係がなく、争う。
なお、原告新実の休業損害算定の基礎となる収入は、昭和五八年分所得税確定申告書によるべきであり、右申告によれば、休業損害算定の基礎となる収入は、申告所得に減価償却費及び利子割引料を加算した一八七万三七〇〇円とみるのが相当であるから、右期間中の休業損害は一六万四二六九円を超えないというべきである。
(7) 弁護士費用
すべて争う。
(二) 原告久米田の損害
すべて争う。
三 抗弁(損害の填補)
(一) 原告新実の損害に対する填補
(1) 治療費 合計二三万三三〇〇円
敬愛病院四万一〇二〇円
常盤台外科病院一六万七二八〇円
初海整形外科病院二万五〇〇〇円
(2) 休業損害 四五万円
仮処分決定に基づき、一か月一五万円の計算により三か月分支払つた。
(3) 内払金 二五〇万円
損害賠償の内払名下に昭和六〇年五月一二日五〇万円、昭和六一年一〇月二二日二〇〇万円を支払つた。
(二) 原告久米田の損害に対する填補
(1) 治療費 合計六万九二四〇円
敬愛病院二万四八八〇円
常盤台外科病院二万四三六〇円
初海整形外科病院二万円
(2) 内払金 二〇万円
損害賠償の内払名下に昭和六〇年五月一二日二〇万円を支払つた。
四 抗弁に対する認否
すべて争う。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
一 請求原因1(事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。
二 請求原因2(責任原因)のうち、被告会社が本件事故につき自賠法三条の損害賠償責任を有することは同被告の自認するところであり、したがつて、同被告は原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。また、証人飯田勝之の証言、原告新実俊之及び被告仲田勇次の各本人尋問の結果、原本の存在及び成立に争いのない甲一号証、乙一及び一二号証、原本の存在に争いがなく弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲二号証及び乙二、三号証、証人飯田勝之の証言により真正に成立したものと認められる乙七号証、本件事故後の被害車及び加害車の状態を撮影した写真であることについての争いのない乙八ないし一一号証によれば、被告仲田は、本件事故当時被害車に追従して走行中のところ、車両が渋滞し、発進、停止を繰り返しながら下り勾配(四パーセント程度)の道路を進行していたのであるから、先行する被害車への追突を防止するため、これとの適切な車間距離保持義務及び被害車の動静に対する注視義務を負つていたにもかかわらず、右各義務の遵守が十分でなく、被害車の急制動措置に対応する適切な措置を怠つた過失により本件事故を発生させたものであることが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、被告仲田も、民法七〇九条により、原告らの後記損害を賠償すべき責任がある。
三 そこで、請求原因3(原告らの傷害及び治療経過)について判断する。
1 原告新実の傷害及び治療経過等について
(一) 原告新実の本件事故による受傷名(頸部腰部挫傷)及び事故後の入通院の経緯(昭和五九年六月三日から同月五日までの三日間敬愛病院に通院し、同日から同月一二日までの八日間常盤台外科病院に入院し、同月一三日から同年一二月二七日までの一九八日間初海整形外科病院に入院し、同日から昭和六〇年四月一七日までの一一一日間中野総合病院に入院し、同月一八日以降同病院に通院を継続中である)は当事者間に争いがない。
そして、前記二の事実に、証人飯田勝之、同池澤康郎及び鑑定証人木下行洋の各証言、原告新実俊之及び被告仲田勇次の各本人尋問の結果、前掲甲一、二号証、乙一ないし三、七ないし一二号証、成立に争いのない乙二六ないし二八号証、三三号証の一、二及び三五ないし九九号証、原本の存在及び成立に争いのない甲三、四、二六、二七及び三三ないし四三号証及び乙一三、一四、一八ないし二〇及び二一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙二五号証、原本の存在に争いがなく弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲五、六、一〇ないし一四、二一、二二号証及び乙四、五号証、原本の存在に争いがなく証人池澤康郎の証言により真正に成立したものと認められる甲二三ないし二五号証並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる(ただし、証人飯田勝之、同池澤康郎及び鑑定証人木下行洋の各証言、原告新実俊之本人の供述並びに前掲甲二号証及び乙四、五、一四、二五及び九九号証の各記載のうち、後記採用しない部分を除く)。
(1) 本件事故当時加害車は、車両渋滞のため発進、停止を繰り返しながら、被害車に続いてノロノロと走行していた。このような交通状態の下で、加害車は、一旦停止後、再び発進して時速約二〇キロメートルの速度で進行し始めた被害車に追従して同速度で進行し始めたところ、被害車が急停止したため、あわてて急制動の措置を採つたが、右停止に気付くのが瞬時遅れたため間に合わず加害車の前部バンパーを被害車の後部に衝突させた。これによる被害車の損傷は、後部バンパー(金属性のもの)中央部がわずかに凹損変形したほか、後部バンパーを車体後部に取り付けている支えの金具が若干変形し、また、車体最後部の板金が外観上はほとんど目だたない程度に変形した程度であり、加害車の損傷も、前部バンパー中央部(ナンバープレートの背後部。バンパー中央部がやや突き出た構造である。)がわずかに凹損した程度であつた。
なお、時速二〇キロメートル程度の速度であれば極端な急制動措置を採らなくても直ちに停止することが可能であることは経験則上明らかなところ、被害車は、その前車が急停止したため急制動措置を採つたものであるが、右のとおり低速度であつたため、前車に追突することもなく、路面に制動痕跡を印すこともなく停止しており、急停止といつてもさほど激しいものではなかつた。また、加害車は、被害車に追突したものの被害車を押し出すことなくその場に停止しているし、加害車の制動痕跡も残されていない。したがつて、右追突はそれだけでは原告らに頸椎捻挫等の傷害を生ぜしめるような程度のものではない。
(2) 被害車には運転手の飯田のほか、後部座席左側に原告新実が、後部座席右側に原告久米田がそれぞれ乗車していたが、飯田は追突時ごつんという軽いシヨツクを感じ、その後頭がぼーつとする感じがあつたが、右が追突事故による影響であるかどうかは定かではなく、また、ハンドルなどの運転席内部の備品に頭部、胸部、脚部等身体をぶつけるようなこともなかつた。右の点は、頭がぼーつとする感じを受けたことを除き、被告仲田も同様であつた。
後部座席に乗車していた原告新実は、被害車の前記急制動の際、緩徐ながら下り坂にかかつていたこともあつて後部座席から腰が浮いて前のめりになり、前部座席への衝突を避けるために両手を座席に付けて突つ張つたところ、その直後に追突を受けた。
また、原告久米田は、被害車の急制動の際に前のめりとなり、その直後に追突を受けた。
(3) 飯田は、本件事故の直後、原告らに対し怪我がなかつたかどうかを尋ねたが、原告らは両名とも大丈夫であつた旨答え、また、被告仲田からも「大丈夫ですか。」と尋ねられたときも、原告らはいずれも「大丈夫です。」と答えたほか、原告らは、飯田及び被告仲田に対し、右一連の急停止、追突の際に受けた衝撃ないし身体への影響について何ら言及することはなかつた。
被告仲田は、原告らの様子を見て病院における治療は必要ないものと判断し、救急車を呼ぶ措置を採らなかつたが、飯田は、原告らの様子から病院に行く必要はないものと考えたものの、原告らが自分の勤務するタクシー会社(以下「東都自動車」という。)の常連客(原告新実は、昭和二六年九月二日生まれで本件事故当時満三二歳であつたが、二歳のころ両眼失明した全盲の視力傷害者であり、鍼灸マツサージ師を職業とする傍ら、区会議員選挙に立候補するなどの政治活動にも従事し、当時チケツトを使用して頻繁にタクシーを利用しており、相当額の未払料金があつた。)であつたことから、後日トラブルが起きるのを避けるため、警察官と相談のうえ救急車を派遣してもらい、原告らを本件事故現場付近の救急病院である敬愛病院に収容する措置を採つた。
(4) 飯田は、本件事故の実況見分が終了した後、自ら敬愛病院へ行き診断を受けたが、医師から心配ない旨の診察を受け、その後も本件事故により身体の異常が生じることはなく、以後右に関し医者にかかつたことはない。なお、飯田は、本件事故当日敬愛病院を訪れた際、受診を終え同病院のロビーにいた原告らを自宅まで送ることになつたが、受傷内容、程度が話題になることもなく、途中での原告らの様子には本件事故前と変わるところはなかつた。
飯田にとつて、自分が感じた追突時のシヨツク等の本件事故の状況、本件事故後の原告らの様子から見て、本件事故による原告らの入通院期間が前記認定のように長期間に及んだことは全く予想外の出来事であつた。
(5) 原告新実は、敬愛病院には昭和五九年六月三日から同月五日までの三日間通院し、担当の外科医から頸椎捻挫の診断を受けた。
担当医は、頸椎捻挫の程度としては中等度以下であり、入院の必要はないという診断であり、外来により痛み止め、冷やし薬等の投薬を行い、頸部をポリネツクを使用して固定する治療を行つた。なお、同原告が項部痛、肩痛及び腰痛を訴えていたため、頸部及び腰部のレントゲン写真を撮影したが、異常はみられず、神経学的な異常所見もなく、この点は整形外科医の判断も同意見であつた。
同原告は、同病院が自宅から遠方にあつたため、担当医の了解を得て常盤台外科病院に転医した。
(6) 原告新実は、常盤台外科病院には昭和五九年六月五日から同月一二日までの八日間入院し、担当の整形外科医から頸部腰部挫傷、腰部椎間板損傷、外傷性頭頸部症候群の診断を受けた。
同原告は、初診時は腰痛並びに頸部、右肩及び右上肢の痛みを訴えていたが、担当医によれば、レントゲン写真上は腰椎には全く異常はみられず、頸椎の第五番目と第六番目の間に加齢によるものと判断される変形がみられたものの、正常範囲内に属するものであり本件事故との因果関係はないと判断された。担当医は、同原告の症状からは入院加療は必ずしも必要ないと診断したが、同原告が入院を希望したうえ、目が不自由なことによる通院時の困難さも考慮し、安静と経過観察及びリハビリを目的として一週間の予定で入院の措置を採つた。
入院翌日の六月六日から疼痛の訴えがひどくなり、左下腿内側及び足背に知覚鈍麻、右腰筋及び座骨神経に圧痛反応を示すようになり、痛くて座つていられない状態であるとも訴えるようになつたため、担当医は骨盤牽引と座薬によつて様子をみたが、七日からは頭痛も訴えるようになつた。八日には、ラセーグ徴候(座骨神経痛の診断に用いられる病的現象であり、右現象は股関節を屈曲した位置で膝関節を進展させることにより神経に沿つて生じる疼痛反応をみることによつて判断することができる。)検査の結果に両足とも異常反応がみられるとともに、左足外側の知覚鈍麻、左長母趾伸筋腱の減弱、根性の左上殿神経及び座骨神経の圧痛反応等がみられ、腰椎牽引中にも疼痛をひどく訴えるようになつてきたので、牽引をしばらく中止することにした。一二日には、ラセーグ検査の結果には異常がなく、左長母趾伸筋腱の減弱や上殿神経の圧痛等の症状も消失したが、項部及び左下肢の疼痛としびれを訴えていた。そこで、追突事故にあつたことを踏まえ、右のような臨床的所見から、腰部及び下肢の疼痛や神経症状については外傷による腰部椎間板の損傷に基づくものであると推測された。
ところが、同日、同原告は、担当医との間に個室使用に関してトラブルを起こし、同病院の治療に対する不満から、自らの意思により常盤台外科病院を退院し、その際、担当医師から通院治療を継続するよう指示されたが、その後同病院には通院しなかつた。
(7) 原告新実は、初海整形外科病院には昭和五九年六月一三日から同年一二月二七日までの一九八日間入院し、担当の整形外科医から頸部腰部挫傷の診断を受けている。
同原告は、同病院の担当医(初海茂医師)に対し、本件事故時の状況について、被害車運転席の後部座席に着座して走行中被害車が急ブレーキをかけたため、両手を席に突つ張り天井に頭が当たるぐらいまで飛び上がり、次いで加害車に追突され、今度は後方の座席で頸部が曲げられ、その直後急に首と右上肢のしびれがきた旨説明したため、同医師は、事故の態様、程度について追突と急ブレーキにより全盲のため防御反応が全くとれず、約八〇キログラム(身長一六七センチメートル)の巨体が衝撃を受け、急激な加速と失速現象が発生し、頸、腰部は鞭を振り回したときと同じような運動を受けたものと考えた。そして、同原告が、同病院を訪れた当初から頸部及び腰部の周囲軟部組織の自発痛、圧痛、伸展痛及び運動痛、頸部及び上腕部の神経根症状、座骨神経根症状を訴えており、盲目であるうえ歩行起立に不自由な状態を示していたため、担当医は入院を指示し、頸部及び腰部のコルセツトによる固定及び湿布、薬物投与、理学療法、介達牽引、硬膜外ブロツク、星状神経節ブロツクなどの治療措置を実施した。
しかし、同原告の脳波及び心電図は正常であるうえ、著明な握力低下や脊髄根症状も認められず、また、頸部及び腰部のレントゲン写真上は外傷による変化はみられなかつたが、腰椎脊髄造影検査の結果、第四腰椎と第五腰椎の間で前方からの軽度の圧排像があり、左第五腰椎神経根がやや不鮮明で軽度の圧迫を示唆する所見がみられた。しかし、これは症状の現れていない健康人にも認められる程度のもので、外傷によるものかどうかは不明である。
右加療によつて同原告の頸部の症状は減少したが、他方で両手の疼痛としびれを訴え、力を入れるとふるえの反応を示すほか、体位変換時に座骨神経に沿つて疼痛が放散して起立歩行座位に一時困難を示し、両下肢にラセーグ徴候、第一趾背屈力減弱、両側腰筋の圧痛、左第四、五腰椎間に圧痛反応著明で疼痛の放散を訴えるなど、腰部の症状を中心として難治性を示すようになり、八月下旬より担当医から腰部の手術をすすめられていたが、硬膜外ブロツクを施行した結果、徐々に症状が軽快し、一〇月初旬からはリハビリ訓練も開始した。
しかし、加害車の任意保険会社の要望により総合病院に転医することとなり、一二月二七日に初海整形外科病院を退院した。
(8) 原告新実は、中野総合病院には昭和五九年一二月二七日から昭和六〇年四月一七日までの一一一日間入院し、同月一八日以降同病院に通院を継続しており、昭和六一年三月五日現在までの実通院日数は四三日である。
同原告は、同病院を訪れた当初から追突事故にあつた旨述べて、頸項部痛、頭痛及び頭重感、吐気、上肢、指及び下肢のしびれ、肩こり、肩甲部痛、腰痛、両下肢への放散痛痛などを訴え、また、項部及び腰部のかなり広範囲に筋硬結及び圧痛反応を示したことから、担当の整形外科医により、追突等の外傷による頸椎捻挫及び腰椎捻挫の症状が残存しているものと診断され、入院して安静及び理学療法を十分行うよう指示された。
入院後、尺側知覚鈍麻、右僧帽筋の反痛反応などが認められていたが、神経反射は正常で、腰部のラセグー症状もなく、長母趾伸筋腱も正常、殿筋の萎縮も認められず、髄液検査でも異常所見は認められなかつた。
そこで、神経ブロツク、骨盤牽引、局所注射、薬物内服、マツサージ、温熱療法等の理学療法などを繰り返したが、項部痛、腰痛、両下肢への放散痛の訴えが強いうえ、一時的に歩行困難を示すなど症状が安定せず、著しい難治性を示した。腰部を中心とする症状の現れ方は外傷性のものではない座骨神経痛によるものとみることも可能である。また、原告新実が本件事故当時糖尿病の既往症を有していたことから、糖尿病に対する治療としては食事療法のほかには特別な処置を実施するほどではなかつたものの、糖尿病の悪化を懸念して神経ブロツクによる治療に使用する薬剤を十分に使用することができず、一、二か月の入院予定が大幅に遷延する原因となつた。しかし、四月に入り右治療を繰り返すうち症状は次第に軽快し、同月一七日軽度の頸部痛の訴えを残してはいたが同病院を退院した。
その後、通院による治療に切り替え、同病院において項部等の疼痛に対する治療を実施した結果、昭和六二年二月現在、同原告の症状は自覚症、他覚症を問わずほとんど消失し、治癒するに至つている。
(9) ところで、初海医師が述べるように、本件事故が原告新実に与えた傷害の内容、程度は、仮に全盲のため防御反応の全くない状態で、急制動と追突により急激な失速と加速現象が発生し、このため前屈と後屈の反復が体重八〇キログラムの同原告の頸部腰部に強制されたとすれば、過伸展損傷の受傷が起こりうることであり、そうすると、頸髄及びその周囲の膜、靱帯、椎体、椎間板、筋、筋膜、血管、神経などの軟部組織が損傷したことが予想され、さらに、これらの損傷により、椎骨動脈への直達外傷、脊髄血流障害、交換神経障害、脳幹部障害が起こると、次の段階には浮腫、出血、瘢痕形成、癒着、繊維化、組織化が惹起されることも予想される。レントゲン撮影では、椎体、頭蓋などが主に撮影されこれらの変化は透過されるので、レントゲン像と臨床症状は一致しないばかりでなく、これらの変化は外傷直後に一時的に生ずるものではなく、一定の時間を経て漸次生ずるものなので、臨床症状もこれに伴つて時間の経過とともに憎悪悪化することは可能性としてはあり得ることである。また、事例として多くはないものの、事故直後には全く現れていなかつた症状が、事故後数日ないし二、三週間経過してから新たに付加されてくるという場合も一般的には存在する。
(10) 本件事故による原告新実の症状が、本件事故の客観的な状況に比較して異常ともいえるほど長引いた原因としては、原告新実が盲目であつたため、本件事故による衝撃を予測して防御姿勢を取ることができず、また、同原告の平均をはるかに超える自重(身長一六七センチメートル、体重八〇キログラム)が事故による衝撃を憎幅させたことのほか、同原告が糖尿病の既往症を有していたことから、中野総合病院において糖尿病の悪化を懸念して神経ブロツクによる治療に使用する薬剤を十分に使用することができなかつたこと、いわゆる糖尿性神経症、すなわち長期間にわたつて糖尿病を患つている患者が身体の各部に強い自覚症状を伴うしびれや疼痛を訴える一種の神経症の影響、賠償性神経症による影響、すなわち交通事故による外傷のように治療経過と賠償問題が密接に関係している場合(同原告は本訴と併行して、本件事故による受傷を理由に、東京海上火災に対し所得補償保険金請求訴訟を、日動火災に対し団地傷害保険金請求訴訟を提起し、前者については訴訟上の和解が成立したが、後者はなお係属中である。また、同原告は、東都自動車に対し相当の未払タクシー料金債務があり、本件事故後それまで何ら面識のなかつた被告仲田から五〇万円を借り受けている。(なお、原告久米田も同被告から二〇万円を借り受けている。)など金銭的に困窮していることが窺われる。)被害者が強い自覚症状を訴える一種の神経症の影響、同原告が本件事故以前に鍼、灸、マツサージなどの中腰の体勢で力を入れる業務に携わつていたことから、本件事故以前に椎間板等に変性が存在し、それが既に顕在化していたかあるいは本件事故の比較的軽微な衝撃によつて著しく悪化し臨床症状として新たに顕在化した可能性などが考えられる。
以上の事実が認められ、右認定に反する証人飯田勝之、同池澤康郎及び鑑定証人木下行洋の各証言部分、原告新実俊之本人の供述部分並びに前掲甲二号証及び乙四、五、一四、二五及び九九号証の各記載部分はこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) ところで、原告新実の主張する傷害ないし症状と本件事故との間に相当因果関係が認められるためには、右両者の間に通常人が疑いを差しはさむ余地のないほどの高度の蓋然性のある牽連関係が存することを要するものというべきところ、前記認定事実に基づきかかる関係が認められるかどうかについて検討するに、前記認定のとおり、医学的には同原告の入院治療の全般にわたり本件事故との因果関係を肯認する一応の可能性がないわけではない。しかしながら、右可能性は、本件事故の態様、程度が重要な前提事実となつているものであるところ(初海医師の所見がそうであり、また、池澤医師も担当医師は一般に患者の訴えを信頼し、その症状の治療に腐心するのが常であることを述べているにとどまり、原因行為となる事故の態様、程度の重要性を否定するものではない。)、前記認定の本件事故の態様、程度及び事故直後の原告らの対応に照らす限り、本件事故は軽微なものであつて、初海医師が理解するような急激な失速と加速により、頸、腰部が鞭を振り回したときに生じるような運動を与えるようなものとは推認し難いところであるから、右因果関係を肯認しうるような医学的可能性はその可能性判断の前提となつている重要な事実にまず疑問があつて、たやすく肯認することができないといわなければならない。さらに、その主張する症状発症の経緯に関する諸事情すなわち、同原告は例えば初海医師に対し追突の直後に急に首と右上肢にしびれがきた旨説明しているが、事故直後飯田や被告仲田ら直接の加害者に対しては異常がない旨答えていること、事故に近接し、診断資料とすべき事情も明瞭な初期段階の診断(敬愛病院及び常盤台外科病院)では、同原告の受傷は中等度以下のものと診断されており、常盤台外科病院への入院も同原告の希望によるものであつて、同病院の医師はその必要性を認めていないこと、同病院では整形外科医が担当医となつており、その診断行為に格別の不合理が窺われないにもかかわらず、同原告は同病院に対する不満(これについても同原告の合理的説明はない。)から一方的に初海病院に転医しているが、右の経緯に同原告が自己の訴えを容認しない医師の診察を拒否する傾向が窺われること、同原告は、治療開始後身体各部位について様々な疼痛、しびれ、機能障害等を訴え続けているのであるが、客観的所見上(レントゲン撮影、ミエログラフイーの結果)は本件事故による外傷性変化とみられるものは見いだされておらず、ラセーグ徴候、知覚異常、筋力低下等の検査には異常所見が窺われるが、右検査は被検者の主観と相まつたもので純粋に他覚的所見とはいい難い面があり、しかも、右検査による症状は発症及びその程度が一定しておらず、結局、同原告の訴える各症状が事実であつたとしても、瞬時の外圧付加により生体組織に損傷が加えられたことによるものとみるにはいささか疑問が残ること、同原告の腰部ないし下肢にわたる症状は、本件事故前から存在している座骨神経痛によるものとみることも可能であること(池澤医師もこの点を明確に否定してはいない。)、同原告がかなりの肥満体であり、その職種に照らすと、本件事故前既に頸部痛、腰部痛が発症していたと推認しても不自然ではないこと(若年にもかかわらず、前記のとおり頸部、腰部に外傷によらない変形が認められることは右の見方を裏付けるものといえよう。)及び糖尿性神経症の影響も否定されてはいないことなどの諸事情と併せ考察すると、本件事故により同原告が受傷したとしても、それは本来通院治療によつて治癒するに至る軽度なものであり、同原告の主張に係る症状のほとんどは仮にそれが事実であるとしても既往のものか又は賠償性神経症(治療経緯自体のほか、前記認定の加害者からの金員借り受け、別訴の提起その他弁論の全趣旨により、同原告には右神経症の作用を否定しえないものというべきである。)あるいは両者が相互に作用し合つたことによるものとみるのが自然であるというべきである。
原告新実の症状及び治療経過については右のような疑問が払拭しきれない以上、本件事故と相当因果関係のある同原告の症状及びこれに対する治療期間は、常盤台病院までに関するものに限定すべきものとするのが、同病院の退院の経緯に照らし、なお、若干の経過観察を含めた治療期間も必要であつたものと認められるから、初海整形外科病院の当初の三週間に相当する期間までを相当因果関係あるものとして肯認するのが相当というべきであり、右以降の同原告の症状及び治療は本件事故との間に前記説示の高度の蓋然性をもつた因果関係を認めることはできないものといわざるを得ない。
2 原告久米田の傷害及び治療経過について
(一) 原告久米田が、本件事故により傷害を負い、昭和五九年六月三日から同月五日までの三日間敬愛病院に通院し、その後常盤台外科病院に通院し、同月一三日から同年一二月一七日までの一八八日間初海整形外科病院に通院したことは当事者間に争いがない。
そして、右争いのない事実及び前記1(原告新実の傷害及び治療経過等について)において認定した事実に、鑑定証人木下行洋の証言、前掲乙二〇及び九九号証(ただし、乙二〇号証については、後記認定に反する部分を除く)、成立に争いのない乙二二ないし二四及び二九ないし三二号証、原本の存在及び成立に争いのない甲七、八号証及び乙一五ないし一七号証、原本の存在に争いがなく弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲九、一五ないし一九号証並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
(1) 原告久米田は、敬愛病院には昭和五九年六月三日から同月五日までの三日間通院し、担当の外科医から頸椎捻挫の診断を受けた。
担当医は、頸椎捻挫の程度としては中等度以下という診断であり、外来により痛み止め、冷やし薬等の投薬治療を行つた。同原告は、当初項部痛を訴えていたため、頸部のレントゲン写真を撮影したが、異常はみられず、神経学的な異常所見もなかつた。その後、六月五日に至つて、肩甲部左側の緊張と圧痛、全身のだるさ、頸部屈曲及び伸展の運動制限、右上腕部の鈍痛などを訴えてきたが、腰部の自覚症状はなく、原告新実とともに常盤台外科病院に転医した。
(2) 原告久米田は、常盤台外科病院には昭和五九年六月五日と同月八日の二日間だけ通院し、担当の整形外科医から頸椎捻挫、右膝挫傷の診断を受けた。
五日の受診時には、左頸部の突つ張りと右肘の痛みを訴えていたが、腰部の自覚症状等の訴えはなかつた。頸椎のレントゲン写真上は異常はみられず、右肘には圧痛があつたものの運動範囲は良好であり、左膝の膝窩部に圧痛反応があつた。この時点の担当医の判断では、二週間の経過観察で十分であり、特に積極的な治療を必要としない程度の症状であると診断された。
八日に至り、左膝関節、左母指に針で刺すような痛みを訴えるようになつたが、レントゲン写真上は異常はみられず、頸部の筋の緊張と疼痛、右膝関節に疼痛と若干の腫脹がみられた。しかし、同日以降同原告は同病院を全く訪れなくなつた。
(3) 原告久米田は、原告新実の転医に伴つて、昭和五九年六月一三日から同年一二月一七日までの一八八日間初海整形外科病院に通院し(実通院日数一四四日)、その後も昭和六〇年八月三日まで同病院に通院し、担当の整形外科医から頸部腰部挫傷、両側肘部左膝部打撲、座骨神経痛の診断を受けた。
初診時は、左頸部痛、右肘痛、両手小指のちくちくするような痛み、左膝窩部及び左下腿部の疼痛などを訴えていたが、腰痛の訴えはなかつた。また、右腕橈骨筋、右上腕三頭筋、肩甲上神経両側及び腰筋両側の圧痛反応、左膝部の皮下出血等の症状がみられたが、腱反射はほぼ正常で、ラセーグ微候もなかつた。
頸部にベクトロンによる理学療法を一週間ほど継続したところ、六月二一日に至つて項部痛に加えて後頭部痛及び眼痛を訴えるようになり、同日からホツトバツク等による理学療法に切り替えたが、同原告の訴える症状は良くならず、同月二三日には腰痛をも訴え始めた。その後も内服薬投与、頸部硬膜外麻酔注射、ホツトバツク、垂直牽引などの理学療法等を継続したが、左項頸部、左側頭部、頭頂部、腰部を中心として疼痛やしびれの強い自覚症状を訴え、著しい難治性を示した。脳波上は異常所見はみられず、握力にも著名な変化はみられなかつた。膝の症状は、七月二一日の時点ではほとんど消失した。一〇月一二日に至つて頭のしびれの訴えはやや改善したが、濃厚な治療措置にもかかわらず、一二月一七日までには頸部及び腰部を中心とした自覚症状にはほとんど改善がみられなかつた。
なお、座骨神経痛の発生原因としては、担当医師により、外傷により座骨神経根部に損傷を受けた可能性が指摘されている。
(4) 本件事故による原告久米田の訴える症状が、本件事故の客観的な状況に符合せず、異常ともいえるほど長期に及んでいる原因としては、同原告が原告新実の婚約者であり、同原告の入通院の付添に当たる必要性があつたことのほか、同原告に呼応して原告久米田自身も賠償性神経症等の心因性の原因により、強い自覚症状を訴え続けるに至つた可能性が十分考えられる。
以上の事実が認められ、右認定に符合しない乙二〇号証の記載部分はこれを採用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
(二) 前記認定の本件事故の状況及び衝撃の程度並びに原告久米田の受傷状況及び治療経過等を総合すると、本件事故の客観的な状況及び衝撃の程度自体は軽微なものであり、同原告の訴える諸症状はおよそ他覚的所見に欠け、本件事故による受傷はほとんど治療の必要性を認めないほどの軽微なものであつたとみるのが相当であり、初海整形外科病院における治療は、すべて本件事故との間に相当因果関係があるものとは認め難いというべきである。
四 進んで、請求原因4(原告らの損害)の事実について判断する。
1 原告新実の損害について
(一) 治療費 五〇万円
前掲甲一〇ないし一四、二二及び三三ないし三七号証並びに乙二〇及び二一号証によれば、原告新実は、初海整形外科病院の治療費として五五一万四六八五円、中野総合病院の治療費として八一万二四二九円をそれぞれ負担したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
しかしながら、前記認定のとおり、同原告については、本件事故と相当因果関係の認められる治療行為は常盤台外科病院における入院と右退院後の経過観察も含めた初海整形外科病院における当初の三週間に相当する期間における治療にすぎないから、右期間における治療費を本件事故と相当因果関係のある損害として算定するのが相当である。
そこで、右治療費を算定するに、前記初海整形外科病院に要した全治療費のうち、個室料差額分合計九九万五〇〇〇円については、そもそも入院自体の必要性に疑問があり、個室利用の必要性、合理性を認むべき余地はないから(なお、前掲甲五号証によれば、同病院においては、同原告の症状、同原告が盲人であること、同原告が鍼灸師、鍼灸院院長及び公職候補者としての地位を有することなどの理由により、同原告に個室を使用させたことが認められるが、右はいまだ個室の使用をやむを得ないものとすべき合理的事情とは認め難い。)、これを控除した残りの四五一万九六八五円のうち五〇万円を相当治療費と認め、右を超える同病院及び中野総合病院にかかる治療費は本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。
(二) 通院交通費 零円
通院交通費については、これを具体的に算定するに足りる証拠がない。
(三) 入院付添費 零円
前記認定のとおり、本件事故と相当因果関係を認めるべき入院治療は常盤台外科病院におけるものにとどまるものであり、右以降の入院付添費の請求はこの点でまず理由がないことが明らかである。そこで常盤台外科病院分について検討するのに、前掲甲三八号証及び乙四号証によれば、担当医は、原告新実が盲人であることを考慮すれば付添看護はやむを得ないが、その症状だけからみれば付添看護は必要ないものと判断していたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はないから、結局、右入院付添費については、本件事故との間の相当因果関係を認めるに足りないといわざるを得ず、右費用相当の損害金の請求は理由がなく、失当というべきである。
(四) 入院雑費 六四〇〇円
前記認定の原告新実の治療経過に原告新実俊之本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、同原告は、常盤台外科病院に入院(八日間)中入院雑費として一日に付き八〇〇円合計六四〇〇円を下らない額を負担したものと認めるべきところ、右は本件事故と相当因果関係がある損害と認められる。
(五) 慰藉料 三〇万円
前記認定の原告新実の傷害の内容、程度、入・通院期間等の諸事情及び同原告の受傷は被告仲田の追突行為のみによつて生じたものとはいい難いこと等の諸事情に照らし、同原告が本件事故によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、三〇万円をもつて相当と認める。
(六) 休業損害 一八六万三四三三円
前記認定のとおり原告新実は、本件事故以前鍼、灸等を業として生計を立てていたことが認められるところ、同原告は、右業務による昭和五七年一月から昭和五九年五月までの収入合計は一九二九万二三〇〇円であり、一日当たり二万一八七三円の収入を上げていた旨主張し、同原告本人尋問において、本件事故以前の年収は七〇〇万円ないし八〇〇万円であり、甲二八ないし三〇号証として提出した金銭出納帳がその証拠であると供述する。
しかしながら、同原告の供述以外に何ら裏付けとなる書証、人証のない本件においては、甲二八ないし三〇号証として提出された右金銭出納帳に、本件事故以前の同原告の収入を正確に記載されたものであるとは到底信用するに足りず、他に本件事故以前の同原告の収入について厳格な立証のない本件においては、同原告の本件事故以前の税務署に対する所得税の確定申告の金額をもつてその収入を推認するのが相当というべきである。
ところで、原本の存在及び成立に争いのない乙六号証によれば、原告新実の昭和五八年度分の申告所得金額は一三九万四九五〇円であり、休業したかどうかにかかわりなく営業を維持するために支出することが不可欠な経費は減価償却費二六万四九三八円と利子割引料二一万三八一二円であることが認められるから、右金額の合計額一八七万三七〇〇円を同原告の休業損害算定の基礎となる本件事故以前の年収と認めるのが相当である。
したがつて、本件事故に遭遇しなければ、同原告は、前記認定の入通院日数合計三六三日(入院日数三一七日、実通院日数四六日)間についても右認定の収入と変わらない割合で収入を得ることができたものと推認することができるというべきところ、右のうち前記認定の原告の本件事故による受傷の程度に照らし本件事故と相当因果関係のある休業損害は、再就業までの療養期間を考慮し、一〇〇日分を相当と認め、次の計算式のとおり、五一万三三四二円(一円未満切捨て)となる。
(計算式)
一八七万三七〇〇円÷三六五×一〇〇=五一万三三四二円
2 原告久米田の損害について
(一) 初海整形外科病院治療費 零円
前記認定説示のとおり、原告久米田の初海整形外科病院における治療は、本件事故と相当因果関係があるものとは認められないから、これに要した治療費相当の損害金一二四万一二七五円の主張は理由がなく、失当というべきである。
(二) 慰藉料 二万円
前記認定の原告久米田の傷害の内容、程度、通院期間(敬愛病院、常盤台外科病院への通院として一〇日間とみるのが相当である。)、敬愛病院、常盤台外科病院における治療費は被告らにおいて支払ずみであること等の諸事情に照らし、同原告が本件事故によつて被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、二万円をもつて相当と認める。
五 損害の填補
原告新実が、本件事故により、自賠責保険から四〇万円の支払を受けたことは同原告の自認するところであり、また、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙一〇〇ないし一〇四号証によれば、原告新実は、被告会社から、初海整形外科病院の治療費として二万五〇〇〇円、損害賠償の内払金として二〇〇万円の支払いを受けたこと、原告久米田は、被告会社から、初海整形外科病院の治療費として二万円の支払いを受けたことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
そうすると、原告らの本訴請求の損害は、前記の填補金額によつて、既に全額填補され残損害額が存在しないことは計算上明らかである。
六 よつて、原告らの本訴請求は、その余について判断するまでもなく理由がなく、失当であるからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 塩崎勤 藤村啓 潮見直之)